『激レアさんを連れて来た。』という某テレビ番組の企画会社から「自分たちの火事を撮影して映画を作るなんて、激レアだ!」というようなことで出演オファーがあり、打ち合わせも順調に進んで収録日が決まりかけていた頃、テレビ局サイドの上層部から突如「火事をバラエティで扱うにあたり非常に慎重にならなければいけない」という声があがりストップしたことがありました。「火事のその後」の話題にはできるだけ触れないようにという、世間の強いバイアスをリアルに感じたエピソードです。なるほど「火事のその後」の声がなかなか聞こえてこないわけですね。
2021年に『焼け跡クロニクル』が全国劇場公開された時には「自宅全焼の映画監督一家、ゼロからの再起を綴るドキュメンタリー」というキャッチコピーで宣伝され、かなりの精神的プレッシャーがかかりました。それが宣伝文句でしたから言及こそ控えましたが「火事から3年でケロリと再起して、もうバッチリ立ち直りました!」とニッコリ笑うことはできませんでした。もう立ち直りましたか? まだ立ち直らないの? どれだけ急かされたことでしょう。しかし。人間は、ロボットと違います!
さて。本作以前から、わたしたちはこれまでも私的日常を題材にしたドキュメンタリー映画をいくつか作ってきました。その映画スタイルなどを少しだけご紹介します。
知る限りにおいて、わたしたちの映画の製作方法は他にあまり類がないと言ってよいと思います。「そもそも人間とは何か? 生きるとはどういうことか? 映画とはなんなのか?」をテーマに、ミクロでプライベートな自分たちの個人的な日常こそが重要であると捉え、家族や個人の歴史にフォーカスを定めて自分たちの実人生を映画化するという実験を続けてきました。
登場人物は、本物の実家族。生活空間や旅(移動)の道程が映画の舞台という設定で「日常生活空間=映画空間」と据えたちょっと変わった私的ドキュメンタリー映画です。(ですから、自宅火事の知らせを耳にした時には、映画の神様に「罹災者の立場から火事の映画を作れ!」と白羽の矢を立てられたのかと本気で思いました)。
常に流動する人間社会の中で、人生の不可逆性、遡ることのない時間軸を了解した上で、生きている瞬間を撮影し、編集し、シナリオや音楽をつけて映画化し続けてきたのは、映画監督・原 將人の名高い『初国知所之天皇(はつくにしらすめらみこと)』の映画的試みに起因します。 独自の映画理論を展開し、映画の枠組みの中で自由な表現形態を拓いてきた原 將人を中心に、私たち家族は常に映画化されてきました。
子連れの新婚旅行を記録した美しいロードムービー『MI・TA・RI!』。原 將人が実父の死に向き合った無常観を詩情あふれるタッチで描いた『マテリアル&メモリーズ』。63歳で双子姉妹の父親になってもなおアルチュール・ランボーの呪縛から逃れられないまま映画監督としての業も抱えつつ、生活のためにブラックバイトを点々した日々を一人称で語り上げる『双子歴記・私小説』(シリーズ3部作、未完成)。その延長線上に、本作『焼け跡クロニクル』があります。
2017年・初夏に自宅が全焼したその日も(原因不明の不慮の火事でした)同様に撮影しましたから、結果的に火事後の貴重な実録映像が残されることになりました。
火事の日から1週間を撮影した実録映像を再生してみると、ノンフィクション映像だからこそ伝わってくる臨場感や、登場人物が揺れ動く内面を表出させた台詞などから、リアルな「火事のその後」を知ることができました。他者が罹災者に肉薄して作意的に作られた空間を撮影したのではなく、罹災者自身が撮影したことにより、より自然な空間が記録されたことは特筆しておきましょう。
父親(映画監督)が、全治2週間の火傷を負った理由は? 3人の子供(当時大学生の長男と5歳の双子の姉妹)と母親(撮影者)はどうしていたのか? 火事を知り駆けつけた祖母の様子は? 火事のその後に何らかのエピソードやドラマが生まれていたのか?
何度も繰り返し映像を見ているうちに、再生可能な映像として確かな記録を残せたことが、不確かであやふやな自己の記憶のみに依拠することなく、より客観的な視点から火災のことを振り返ることを可能にしたという点においてよかったと思えるようになりました。
3人の子供たちのシーンを見ていると、自分たちも辛いだろうに、いじらしいほど前向きで淡々としている姿がいくつもあります。危機的状況下において子供たちが大人を自然に勇気づけてくれている存在であることにも気づきました。
わたしにとって「映画」は、生きるよろこびや希望がたくさん詰まったものです。作るのならば、そういう映画を作りたい。被災時に撮影した家族の実録映像の存在を肯定的に捉え、罹災者の立場から「火事のその後」を映画化して共有することには大きな意義があると信じています。
ある若い女性から「家が火事で焼けたら『もうこれでおしまいだわ!』と泣き崩れたり、うろたえて発狂したりするかと思っていたけど、実際は違うのですね」という感想をいただきました。それはきっと、ドラマや小説の中で描かれたフィクションの世界であり、誇張された火事のイメージだと思われます。火事にあう以前は、わたしも同じようなイメージを持っていました。
別の男性からは「いろいろあるのが人生なのだ。ということが前提にあれば、意図しないアクシデントが起きる可能性は常にあるし、極度に不利な状況に陥ったとしてもその事態を何とかするパワーは内在されているはずだよ。大丈夫!」と親身に励ましてもらい、勇気をもらえてうれしかったです。
このコメントを読んでくださっている人の中には、実際に火事を経験された方がいるかもしれません。劇中には共感していただけるシーンが、多々あるでしょう。経験者のひとりとして「火事のその後」が悲惨で不幸で触れない方がよい話題であるというような世間一般のイメージを変えたい。実際にわたしたちの「火事のその後」は、それまで受けたことがないほどの支援や、励ましに守られていました。『焼け跡クロニクル』がその証明になるでしょう。家は火事で焼けても、自尊心までなくす必要はありません。辛く苦い経験も、人生の1ページ。降りかかってくる苦難に翻弄されながらも、懸命に前向きに生きる姿を描くのが映画です。人生は、映画。ドラマティックでいいじゃないですか!
追伸:
地震や津波といった「地域で被災する災害」と比較すると、火災は「ピンポイントで被災するクローズな災害」といえます。それゆえに体験を語り合ったり、相談したりする相手が限られてきます。
もし、悲しそうにしている人がいたら、そっと声をかけて、お話を聞いてあげてください。そして、再復帰の応援をしてあげてください。よろしくお願いいたします。
原 真織(はら まおり)
1973年1月1日、大分県日田市出身。荒井晴彦初監督作品『身も心も』のボランティア炊事班として参加。湯布院映画祭で原 將人と出逢い、結婚。原とふたりで、子連れ新婚旅行を記録したたライブロードムービー『MI・TA・RI!』を製作。原から撮影、編集、 脚本、出演など、個人映画製作全般を学ぶ。8ミリフィルムの映像をふんだんに盛り込んだ同作は、第1回フランクフルト国際映画祭において初披露され、観客賞を受賞。昭和30年代の日本の戦後が舞台の『あなたにゐてほしい ~SOAR~』主演(観音崎まおり)に起用され、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭において、渚特別賞受賞。現在、慶應義塾大学文学部通信課程で学習中。